トウカイテイオー

 オグリキャップが奇跡の引退レースを制した翌年、これまた奇跡の名馬が日本ダービーを制覇します・・・

 彼の名は「トウカイテイオー」 父はあの皇帝と呼ばれたシンボリルドルフ・・・

 私はこの頃同じ店舗の従業員に府中競馬場に連れて行かれて初めて競馬を知り、

 その年に初めて出会って追いかけたのがこのトウカイテイオーだったのです。

 無敗でダービーを制した父と同じく無敗でダービーを制した彼は骨折が判明、3冠は幻となりました。

 ちょうどトウカイテイオーがダービーを勝って骨折休養している時に北海道を訪れた私は休養先の牧場へ訪問。

 厩舎の方の特別な計らいで現役のダービー馬と対面し一緒に写真を写す事が出来ました。

 そんなトウカイテイオーが復帰したのは翌年の産経大阪杯、名手「岡部」を背に手綱を持ったままで楽勝した彼は

 「春の天皇賞」に駒を進め、当時のステイヤーであった「メジロマックイーン」と対決する事になります。

 北海道で休養中の彼を見た感情も移入され、かつてない程の興奮を味わいつつレースを観戦・・・

 しかし走りは本来の彼の走りではなく失速・・・初の敗北、レース後骨折が判明、またもリハビリ生活へ。

 彼が復帰したのはその年の秋、ぶっつけで「秋の天皇賞」に出走してきます。

 1番人気でしたが結果は7着、この時府中競馬場にいたTは17万人の悲鳴と驚愕の静けさを体験したのだった。

 続く「ジャパンカップ」は前走の敗北からか外国馬が上位人気を占め彼は5番人気。

 最強の外国馬メンバーと言われたこの年のジャパンカップでしたが、最後の府中の直線を大外から一気に

 先頭の馬を追い掛けてきたのはまぎれもないトウカイテイオーでした・・・

 ゴール板を過ぎてあの名手「岡部」が珍しくガッツポーズ!!  見事な復活劇でした・・・

 最強メンバーと言われたジャパンカップを制した彼は続く「有馬記念」では当然1番人気に推されます。

 ところがこの有馬記念はまったく見せ場すらない11着・・・彼にしては不可解な惨敗を喫するのである。

 翌年彼は「宝塚記念」を目指して調教中に3度目の骨折が判明・・・懸命のリハビリが続きます。

 そしてあの惨敗を喫した「有馬記念」から1年・・・またしてもぶっつけで「有馬記念」に出走してきました。

 「ビワハヤヒデ」「ウィニングチケット」「レガシーワールド」「ライスシャワー」「ベガ」などの名馬が出走する中、

 有馬記念のゲートが開きます・・・名手「岡部」はビワハヤヒデを選んだので1年前の有馬と同じ「田原」とのコンビです。

 4コーナーから直線に向くと予想通り1番人気ビワハヤヒデが抜け出します・・・とそこに外から飛んでくる鹿毛が・・・

 トウカイテイオーだった・・・彼はビワと一騎打ちになった・・・最後の力を振り絞る彼は半馬身先着したのです・・・

 彼は実に1年ぶりのレースに勝利したのである・・・レース後「田原」は泣きながらインタビューに答えました。

 私もこのレースを見て泣きました・・・心から感動しました。

 翌日の新聞各紙は「奇跡の復活」との見出しで報道しました。

 この「奇跡の復活」を遂げた彼は翌年もレースに出走しようとトレーニングしていたようですが4度目の骨折が判明し、

 この「有馬記念」を最後に引退する事になるのです。

 彼は引退後千歳にある社台ファームにて第2の人生を歩みだしますが、

 奇遇にも北海道に住む事になった私は真っ先に会いに行った事は言うまでもありません。